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あたたかな毛布

赤ちゃんの「今」を残す手形アートpetapeta-art やまざきさちえです。

 

 

 

今の社会は日々、いろいろなことがめまぐるしく起こっていて。

 

いつの間にかその影響を受けて、幸せな気持ちになったり、悲しい気持ちになったりすることがあります。

 

嬉しい時はポジティブな言葉が口をついて出てくるし、辛い時はネガティブな言葉が口をついて出てくるかもしれません。

 

 

 

私自身にもその時の心理状況によって、たとえ同じ事象についてでも、それが素敵なものに思えたり、逆に何となく不快なものに思えたりしてしまう時があります。

 

ですが、ポジティブとネガティブ、光と影、どちらをも持ち合わせているのが人間であり、良いところだけでも悪いところだけでもないからこそ、人間って愛おしい存在なのではないでしょうか。

 

そう考えると、自分の良い面だけでなく悪い面も、これまでより少しだけ受け入れやすくなるような気がします。

 

もちろん改善すべきとことは改善していかなければいけない局面もあるでしょう。

 

ですが、悪い面をただただ否定するのではなく、それもまた自分なのだという目線を持ち合わせることで、少し息をするのが楽になり、日々を優しい眼差しで見つめられるようになるのだと思うのです。

 

 

 

他者に対しても同じ。

 

私が相接するその人は、その時々の状況によりいろいろな感情を持ち合わせているわけで。

 

嬉しい楽しいという感情を提示されたときには、その感情を一緒にわかちあえる存在でいたいと思いますが、逆に辛い苦しいという感情を提示されたときにも、ぶつけられた感情を単にシャットダウンしてしまうのではなく、その感情を理解できるよう努めて、そこにあたたかい毛布のようなものをかけてあげられる存在でいられたら、と思うのです。

 

その想いが相手に伝わればとても嬉しく感じますし、たとえその想いがすぐに相手に伝わらなかったとしても、その時自分なりの精一杯の誠意を相手に示すことができたのであれば、いつかその想いは伝わるのではないかと思いますし、少なくとも自分自身に胸をはって次の一歩を踏み出せるのではないかと思うのです。

 

 

 

ただ、そのためには自分自身に余裕があることが必要で。

 

外の新鮮な空気を吸ったり、空を見上げたり、おいしいものを食べたり、好きな本や映画を見たり、愛する人と過ごしたり。

 

何でもいいんですが、そういう小さな幸せを感じられる時間を意識的につくったり、日々目に前にある幸せに意識的になることで、まずは自分自身をあたたかな毛布でしっかりと包んであげることが大切なのではないかな、と思います。

 

自分を認めてあげることができるのも、自分を幸せにしてあげることができるのも、結局は自分自身しかいないのだと思います。

 

 

 

とりとめのない話になってしまいましたが、ふと感じたことを書き綴ってみました。

 

が、こういう夜中に書いた内容って朝に見返すと、なんて私はセンチメンタルなことを書いちゃってるんだって後悔するんですよね。

 

明日の昼あたりになって記事がなくなっていたら、やっぱり恥ずかしくなったんだな、と察してください 笑。

 

読んで下さってありがとうございました。