物語
赤ちゃんの「今」を残す手形アートpetapeta-art®︎やまざきさちえです。
年末年始は家族と楽しく過ごしつつ、夜な夜な本を読み耽っていました。
と言っても主に読んでいたのは漫画ですが 笑。
小説には最近あまり手が伸びていないんですが、それでも基本的に小説も好きですし、実はかなりテレビっ子でドラマも好きだし、映画も演劇も好きです。
何が言いたいかと言うと、私はとにかく物語が好きなんです。
物語はフィクション。架空のお話。
でも、その架空の物語は、漫画であれ、小説であれ、演劇であれ、形は違えど、この地球上のほぼ全ての国で生まれています。
そして、歴史物、恋愛物、ミステリーといったジャンルはもちろん、高尚か低俗か、そんな枠も超え、それぞれの物語がそれぞれの国の文化として根を張り、多くの人に愛されています。
それはきっとその架空のお話の中に、人類普遍の真実や大切なものが織り込まれているから。
人が人でいるために忘れてはならない真理がそこに眠っているから。
私はそんな風に感じています。
それを見出すために、そして忘れないために、私たちは何らかの形での根源的に物語を欲してしまう生き物であり、そうして自身の中に取り込んだ物語から、生きる力の源ともなる「大切なかけら」を見つけて、日々を生きているんじゃないかなと思います。
そして個々の人間それぞれもまた、自分の一生をかけて、一つの物語を編んでいるのだと思います。
その物語は他者を巻き込みながら現実のものとして存在している。
ただその一方で、編んでいる本人が考えている物語と、傍にいる他者から見たその物語は、同じ物語であるはずなのに、きっと全然違う色や形として受け取られていて、そういう意味では、他者から見た誰かの物語も、その人のフィルターがかかった架空の物語なんだろうな、なんて思います。
その時に
どちらにせよ他人から見ればフィルターがかかった架空の物語となるのだから、と自分の思う存分、自由な物語を編んでいく、
いう道もあれば
受け取り手がいるのであれば、その人に優しくあたたかい物語を届けることを第一に考え、それに沿った物語を編んでいく、
という道もあって。
それらは他にも自分次第で多種多様の物語になりうる可能性を秘めています。
そこには正解も不正解もなくて。
自分が決め、自分が全うすれば良いこと。
そして、どんな物語にも等しく、そこには人類普遍の真実の「大切なにか」が紡がれている。
そう思います。
きっと文章の意味が全く分からない…と思う人もいるかもしれません。
そんな物語に私は惹かれて止まず、やはり大好きである、いう話です 笑。
そして物語と同じくらい、その編み手でもあり、受け取り手でもある人が好きなのです。
今現在、物理的に近しい距離にいる人もいれば、少し遠い場所にいる人もいますし、私を含め、人には長所も短所もあるので、その時々の状況で個人的に好悪の感情が揺れ動くこともあります。
でも、それぞれの人がそれぞれの立ち位置で自分だけの物語を懸命に編んでいる。
そう思うと、距離や好悪の感情を超えて、どんな人も根源的にはすごく愛おしい存在なのだと感じます。
さて、今年はどんな一年にしていこう。
私はどんな物語を編んでいこう。
美しい物語にはならないかもしれない、
不格好な物語かもしれない。
それでも私だけの物語を私も懸命に編んで行こうと思います。
そして、できることなら、同じように渾身の力で日々の物語を編んでいるより多くの人に、たくさんの光と笑顔が降り注ぐ一年となれば良いなと願っています。
新年にふと感じたことでした。
読んでくださってありがとうございました。