コンテンツにスキップ

光と影

赤ちゃんの「今」を残す手形アートpetapeta-art®やまざきさちえです。

 

 

 

唐突ですが、どんなものにも光と影があって。

きらきらと光があたる部分があるということは、どこかに薄暗い影ができる。

というのが、世の必定なのだと思います。

 

 

 

それを人の人生に置き換えてみた時に

「ある人が生きている、今、この瞬間」というものさしで捉えて

今、光のさしている部分があるから、どこかに影ができている、と考えるのが正解なのか

「ある人が生きている、その一生すべて」というものさしで捉えて

まばゆい光の当たる時期があれば、暗鬱な影が差し込む時期もあると、と考えるのが正解なのか

 

それは分かりません。

 

 

 

一生のうち、ずっと光と影の両側面の中で生きる人もいれば

すごく輝いている時期とその逆の時期があった、という人もいるでしょう。

 

 

 

ただ一つはっきりしているのは

光と影は必ずセットになっている、ということ。

 

どちらかだけ、ということはあり得ない。

 

 

 

これは取り方によっては、

どんな人生にも影が付きまとう、というマイナスの話にも聞こえるし

逆に、どんなに暗く感じられる人生にも光がある、というプラスの話にも聞こえます。

 

ただ実際のところ、それはプラスでもマイナスでもなく、ただただそうあるという事実の話なんだと思います。

 

 

 

光を見つめるのか、影を見つめるのか、それによって見え方が変わる。

それだけの話なんだと思います。

 

 

 

ですが、どんなにまばゆく見える人にも影はある、

逆に、暗い影に覆われているように見える人にも光はさしている、

と思うと、何となく世界のバランスが取れる気もします。

 

 

 

ただ、もしそうなのだとしたら、

同じように日々を過ごすからには、その光のあたる部分を見つめられる人でいたいし

そうすれば日々の景色が、少しは柔らかで優しいものに見えてくるのではないかな、と思います。

 

私の周りにいる家族や友人・知人、好きな人も嫌いな人も含めて

みんなに、その光に目を向けられる、そんな時間をつむいでもらえたらいいな、と思います。

 

 

 

今、世の中に本当に必要なのは、そういう価値観やものの見方を教えてくれる「何か」なのではないかな。

 

って、こんなことばっかり考えている私。

 

やっぱりちょっと変、もしくは根暗なのでしょうか 笑。

 

でも、毎日に追われていると、見失いがちになる気持ちでもあるので、備忘録として残しておこうと思います。

 

読んでいただいて、ありがとうございました。